より良い支援をするために
必要なことは何だと思いますか?
技術 知識
やさしさ 思い
何が正解なのでしょうか?
やさしさ 思い
私が以前担当をしていた利用者の話です。当時自分で購入したマンションでヘルパーを利用しながら生活をされていました。20代までは歩行でき、一般企業に勤められていましたが、難病のため徐々に車椅子生活になり、思うように生活が送れず落ち込むこともあったそうです。私が担当してからは表情も豊かになり、仕事での役割を見いだせ、これから頑張ろうと思っていた矢先、末期の癌を宣告されました。「なんで死ぬ原因が難病じゃなくて癌なんだ」「なんで私ばっかり」と涙を流す場面もありましたが、徐々に「旅行に行きたいな」「○○祭りを見たいな」と望みを口にするようになりました。
訪問診療・訪問看護の方々の多大な協力もあり、点滴を打ちながら旅行に行き、亡くなる直前には自宅前の大きなお祭りを見ることもでき、自宅で最期を迎えました。ご両親からは「最期ぐらい面倒を見たかったけど、最後の最後まで本人が望んだ生活を送れたと思います。本当にありがとうございました。」と言っていただきました。
葬儀には数十人の方が参列し、多くの方に見送られ、僧侶の方には「こんなにいいお葬式は見たことがない。」と言われたほどでした。
私は「最期までこの人に悔いが残らないようサポートしたい」と必死に支援をしていましたが、末期の癌を宣告されてから1日24時間ヘルパーを提供し始めたことや、癌が進行するとともに、せん妄の症状が見られ始め、その方のヘルパーを辞退される人が増えたことで、私がその穴埋めをする必要がありました。そのため月150時間を超える残業時間と24時間ヘルパーから電話がかかってくる状況が数ヶ月におよび、心身ともに余裕がなく、ふいに不適切な態度や支援をしてしまったことを覚えています。
より良い支援をする方法とは「支援者自身に余裕があり、充実した生活を送っていること」とその時に強く感じました。いくら良い支援方法を熟知し、優れた技術があったとしても心身ともに余裕がなければ適切に支援することができません。また、充実した生活を送れていなければ、利用者の喜びを一緒に喜び、利用者の目標や夢を心から応援することはできません。さらに、心身ともに余裕がなく充実した生活も送れていない場合、最悪「虐待」につながる恐れもあります。
より良い支援を提供できるよう、従業員が快適に働き、充実した生活を送ることができ、そして高い技術を持つ会社を創ろうと思いヘルパー事業所を立ち上げました。
そして最後に、亡くなられた方は「自分がヘルパーを利用しながら自宅療養し、自宅で最期をむかえることで、この地域で使われなかった制度や新しい事例を作れるかもしれない。そしてヘルパーを利用している方の人生の選択肢を増やしたい。」と言っていました。
私事ですが、その方の想いを引き継ぎ、障がいのある方だけではなく全ての人が、障がい等を理由に日常の選択権が奪われない環境を、そして最終的には自宅で最期をむかえられる環境を作れたらと、そう夢見ています。